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急に書きたくなった昔の欧州旅行の話し

2005年7月22日(金)

朝、イタリアの友人からメイルが来て、初めてイタリアに行った時の事を思い出した。その時の話である。

1983年夏の事、即ち大学3年の夏。軽音楽のサークルの幹事長(部長)をやりながら、朝日放送のラジオ番組のバイトをレギュラーで5-6本持って、色々忙しくしていた。友達がシベリア鉄道でヨーロッパに行った話を聞き、自分も急に行きたくなった。軽音の合宿の日程を勝手に変更し、バイトのシフトを他の連中に頼み、バイトのお金だけでは全く足りなかったので、親や姉貴にお金を借りて、超貧乏旅行にでた。全く勝手な話である。

南回り経路での香港、バーレーンを経て38時間以上掛けての旅。都合50日くらいイギリスから始まった旅は、25日後くらいにイタリアのフィレンツェに電車でたどり着いた。そこに至るまでの2日間、車中での宿泊だったので、「今日こそは、宿に泊まって、シャワーを浴びたい」という意志の元、朝早くから駅近くのホテルを探し始めた。僕の1日の予算は500円程度だったので、高くても1,500円程度の部屋を探す必要がある。即ち、3日分の宿泊代。3日に2日は車中泊か野宿を繰り返していた。

ホセ・アントニオというスペイン人の営む宿(B&B)が当時の地球の歩き方に書いてあり、そのロビーに入っていった。ホセのおじさんが僕を嘗め回すように足の先から頭のてっぺんまで眺めていたのを覚えている。「安い部屋を探している」と言うと、「夕方には部屋が空くから、それまで観光しておいで」と言って、僕の名前を台帳に書き込もうとしていた。Masumotoという名前を語ると、「Yes, Easy to remember. I know Yamamoto, Hashimoto, Ajinomoto...」と言って日本人は皆Motoが付くと喜んでいた。

一通り観光をして、ホテルに戻ると、ホセおじさんは、機嫌を悪くしていた。「食事を作って待っていたのに、何故もっと早く帰ってこなかった?」との事。当時の僕は英語が喋れるわけではないので、Sorryとだけ言って、自分の部屋に入りたいと聞いた。すると、「残念だが、お前の部屋はない。どうしてもと言うのなら、俺の部屋に泊めてやる」との事。その前2泊を車中で過ごしていたので、今更出て行く気にもならず、おじさんの行為に甘えることにした。

部屋に入って、シャワーに浴びたいというと、その場で裸になって行けと言う指示。胴巻きにパスポートを入れていたので、それは外さず、短パンだけでシャワー室に入ろうとすると、怪訝な顔で、「俺を信じろ」と。おっさんは、ずっと僕を見つめている。

とにかく、3日ぶりのシャワーだから、気にしない事にしてシャワーを浴びて、部屋に戻ると、おっさんが素っ裸でシャワー室へ。

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大きなダブルベットの端の方に遠慮がちに座っていたら、おっさんもシャワーから出てきて、ベットに一直線。「狭いけど、気にするな」ってな感じの事を言ったかと思ったら、「電気を消せ」との指示。電話を消して、ベットに戻った瞬間に「Masamoto」と抱きついてきた。Easy to remenberといっときながら、覚えてないやんけと考える前に、やっとこのホセおじさんが、ゲイだったことが分かった。それから、朝方まで、いびきとMasamotoの繰り返しで寝れたもんじゃない。最初は、「I am sleepy]とか「Please make me sleep alone」とか一生懸命文法を考えながら、おっさんにたどたどしくビビりながら伝えていたけど、一番効いたのは、「エエかげんにせんかい。しばくぞ」と叫んだ大阪弁。このシャウトが通じたようで、そこからやっと睡眠を。何とこのバトルを5時間くらい続けていた。感情を伝えるのは、言葉じゃないって事。1-2時間後に起きてキッチンに行ったら、何と客は全員女の子。部屋も余っていた様子。最初から、僕はだまされていたわけ。キッチンでニコニコしながら食事を配るおっさんは、「今日も泊まって良いぞ」とのコメントとウインク。

勿論、操を守った僕は、食事後、そーっとホテルから出て、その晩は野宿を選んだ。ま、宿泊代が浮いたからOKと思って、旅を続けた。

もう、こんな経験は二度とないだろう。サンフランシスコもゲイが多いけどね。
by hiro.b-bridge | 2005-07-22 23:59 | 昔の話し