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2005年7月31日(日)

アメリカに住んでいる人にしてみれば当たり前の事だが、クレジットカードの精算は、基本的に銀行からの引き落としではなく、毎回、カード会社からステートメントが送られてきて、その金額を確認して、チェックを切ったり、WebからアクセスしてWeb上で決済を行う。これ以外に、電話代やその他の光熱費等も同様である。(最終的には、銀行引き落としも可能であるが・・・)

昔、コーリング番号を知り合いにメモに書いて渡したことがある。ロスのホテルでの事。その知り合いは、私のカード番号で日本に電話を掛け、掛け終わったあと、そのメモをホテルのゴミ箱に捨てた。数日後、電話会社から僕の自宅に電話が掛かり、「1-2日で異常に電話を掛けているが、心当たりは?」との事。その掛かった先は、アフリカ、ベトナム、フィリピン・・・、しかも2日で1,500ドル以上の請求。当然、心当りのない自分は、何かの間違いであることを主張した。
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どうにも、知り合いが捨てたメモを、ホテルのボーイかハウスキーピングの人が見つけ、多くの人にばら撒いたのだろう。実は、その日は正月で、故郷の皆へのHappy New Year Callとなってしまったわけ。

自分でないことを交渉して理解してもらい、僕への請求はなかったものの、海外で、メモをその辺に捨てる事はやめましょう。何があるか分からないですよ。  教訓です。
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by hiro.b-bridge | 2005-07-31 13:19 | SV生活
2005年7月30日(土)

自身のblogに何度か登場した、研修生の商陽が半年間の研修日程を終えた。ヤツの研修を終えるに於いて、会社で今まで色んな研修生を迎え入れたことを思い出した。

一番最初は、付き合い先の会社の役員の息子さんが3ヶ月間やってきた。当初はもう少し長く滞在する予定であったが、都合により3ヶ月となった。あれはもう5年近く前のこと。今でも覚えているが、英語が出来ないのに、アパートの隣人のヘルプをして、短いStayの中に、それなりの自信をつけて帰ってくれたと思う。

学生初の研修生は、東大の4年生だった。英語も上手、頭も良い子だった。しかし、2週間の滞在期間中に3度も交通事故を起こし、帰国当日には、でっかいかばんを寄宿所に忘れて帰るなど「困った」エピソード記録保持者。

その後、非常に勤勉な19歳の留学生に出会った。ヤツは、19歳にして、起業を考える会のようなものに参加して。僕がスピーチをした時に聞きにきていた。こちらの学校に通いながら、週に何度か研修兼バイトのような形で、その辺の社員よりよっぽどしっかりと業務を成就していった。この秋から、アメリカの違う学校でe-commerceを勉強するようだ。将来楽しみな奴。

短期には、コンサルティング会社に勤務する前の2週間、Adminの手伝いで社内の引越しのProjectを請け負ってくれた者もいた。

今度去っていく商陽は、会社には一番フレンドリーな奴だった。研修後半は彼女までも作り、アメリカ生活というよりも、シリコンバレーに関係なく学生生活をエンジョイしているようだった。

それ以外にも、付き合い先の若手社員やうちの東京支店の者が研修でやってくる。二回り近く年の違う連中の若さに、うらやましさを感じるときもあるが、彼らのバイタリティーに我々も刺激を受けて、彼らが我々から得るだけではなく、我々が彼らから何かを吸い取る刺激のあり研修生に、今後も期待したい。

研修生の別れに、多くの社員が涙した。一段と逞しくなって成長した商陽の姿を何年か後に見るのが非常に楽しみである。頑張れ、商陽・・・。
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by hiro.b-bridge | 2005-07-30 09:09 | 出会い
2005年7月26日(火)

LASIKの手術を受けてから、3週間が過ぎた。僕が受けた手術は、San JoseのMitsuwaの前のLasik Centerで、有名なDr. Kaweschのいるところ。何が起こったかというと、検査を終えて、近視と老眼(悔しいかな、43歳、すでに始まっていました)を一度に直す手術を受ける事で合意し、さらに確認し、手術台へ。ところが、終わって翌日の検診で、手術の経緯を確認したら、老眼用の術は行っていないとの事。挙句に、「あんたがちゃんと確認しないから・・・」みたいな言われようで、誰一人として謝らない。ま、アメリカでは良くある事だけど、それは一寸酷いんじゃないのと。秘書の玉ちゃんの絶大なるサポートで、文句を言ったら、どうにも、僕の経歴や現在の職を調べたらしく、態度が一変。ただで、再度手術をするから、許して欲しいと。

ところが、引継ぎが悪いため、医者として謝る姿はなく、アポに行っても、平気で1時間待たすし・・・。とにかく、思い出しても腹が立ち、書いてても、うまく表現できないくらい。とにかく、LASIKは確かにすばらしいけど、このセンターは絶対お勧めできない。それだけが敢えて書きたかったのです。

目は、よく見えます。でも、めがねがない自分は、一寸、怖い。
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by hiro.b-bridge | 2005-07-26 23:59 | SV生活
2005年7月25日(月)

1985年に大阪の老舗繊維会社に入社したのは、もう20年も前の話。大学が文系の僕は、当時アイビーリーガーを装って、ブラックウォッチのズボンを穿いて、アパレル業界での活躍を夢見ていた。入社と同時に、研修で滋賀県の研修所に1週間缶詰生活。朝のラジオ体操や当番制の掃除から始まって、会社員のイロハを教え込まれた。その後山口県への3ヶ月研修。労務部所属で、初日に渡された仕事は、花見の場所取り。次の日の仕事は、近くの山のたけのこ堀り。3日目に、たけのこの皮むき。4日目は、そのたけのこ蒸して、食事を作る。これが従業員への給食。こんな仕事もやったことが懐かしい。バイトでもなんでもなく、正社員として大学を出て入った最初の週のお仕事。

その後、紙切れ一枚で「生化学事業部」へ異動。3年したら、「工場の労務部」へ異動。又2年したら、「本社の生化学部」へ再度異動。特に、工場へ異動した時は、「課長、僕の異動の噂を聞いたのですが、どうなんでしょうか?」と尋ねたら、早速人事部に電話をしてくれた。で、結果は、「転勤みたいで。労務。良かったなぁ」その一言。

紙切れ一枚で異動を余儀なくされるのは、会社員の宿命。

今日、その頃の後輩から、同じような「突然転勤」の挨拶が届いて、思わず昔の自分の紙切れ一枚での異動を思い出した。

でも、アメリカの異動はもっと突然やってくるのです。しかも、これは異動ではなく、単に「首切り」アメリカの会社で働き初めてしばらくした時、隣のオフィスのManagerと夕方4時頃まで打ち合わせしていた。人事から電話を受けた彼は、ノートを持って「何やろ?」と人事部に出向いた。そして、その人事部へ出向いた彼の背中が、最後に彼を見た瞬間である。何せ、通告を受けて、自分の部屋に戻る事もなく、当然何の引継ぎもなく、夕方6時前には、人事部のスタッフが彼のオフィスの整理をしていた。彼の家族の写真をFedExで送る人事のスタッフは、もくもくと業務をこなしていた。

先週、うちの会社でも一人「突然通知」で辞めてもらった。アメリカ人のSales Rep。自分で解雇しておきながら、改めて気合を入れ直す事になる。みんな頑張ろうぜ。
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by hiro.b-bridge | 2005-07-25 23:54 | 昔の話し
2005年7月23日(土)

シリコンバレーに住んでいると、会社の合併の話がしょっちゅう聞かされる。以前僕が勤めていた会社も、大きな会社に買収され、最近になって、その会社が又身売りにでた。よくある話である。それによって、会社の名前が変わる。合併で、2つの会社の名前を足して、新しい会社名にするケースも少なくない。

古いビデオで、漫才を見ていたら、「もし日産とホンダが合併したら、どうなるか」と予測をしていた。会社名は多分、「本田さん」。何か、かっこ悪い。 しかも、ガソリン車がハイブリッドになって、その後電気で走る車が増える。ガソリンスタンドも電気スタンドになってしまう。

漫才師は、続けていた。「高速道路もくっつく事がある。阪神高速と近畿自動車道が交わると、神近高速となり、Newsでは、心筋梗塞で重態です。」とややこしくなってしまうと。

おもろかったので、意味もなく書いてしまった。

今日は、アツアツのカップルを久しぶりに見た。商陽、良かったな。
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by hiro.b-bridge | 2005-07-23 23:01 | くだらん話
2005年7月22日(金)

朝、イタリアの友人からメイルが来て、初めてイタリアに行った時の事を思い出した。その時の話である。

1983年夏の事、即ち大学3年の夏。軽音楽のサークルの幹事長(部長)をやりながら、朝日放送のラジオ番組のバイトをレギュラーで5-6本持って、色々忙しくしていた。友達がシベリア鉄道でヨーロッパに行った話を聞き、自分も急に行きたくなった。軽音の合宿の日程を勝手に変更し、バイトのシフトを他の連中に頼み、バイトのお金だけでは全く足りなかったので、親や姉貴にお金を借りて、超貧乏旅行にでた。全く勝手な話である。

南回り経路での香港、バーレーンを経て38時間以上掛けての旅。都合50日くらいイギリスから始まった旅は、25日後くらいにイタリアのフィレンツェに電車でたどり着いた。そこに至るまでの2日間、車中での宿泊だったので、「今日こそは、宿に泊まって、シャワーを浴びたい」という意志の元、朝早くから駅近くのホテルを探し始めた。僕の1日の予算は500円程度だったので、高くても1,500円程度の部屋を探す必要がある。即ち、3日分の宿泊代。3日に2日は車中泊か野宿を繰り返していた。

ホセ・アントニオというスペイン人の営む宿(B&B)が当時の地球の歩き方に書いてあり、そのロビーに入っていった。ホセのおじさんが僕を嘗め回すように足の先から頭のてっぺんまで眺めていたのを覚えている。「安い部屋を探している」と言うと、「夕方には部屋が空くから、それまで観光しておいで」と言って、僕の名前を台帳に書き込もうとしていた。Masumotoという名前を語ると、「Yes, Easy to remember. I know Yamamoto, Hashimoto, Ajinomoto...」と言って日本人は皆Motoが付くと喜んでいた。

一通り観光をして、ホテルに戻ると、ホセおじさんは、機嫌を悪くしていた。「食事を作って待っていたのに、何故もっと早く帰ってこなかった?」との事。当時の僕は英語が喋れるわけではないので、Sorryとだけ言って、自分の部屋に入りたいと聞いた。すると、「残念だが、お前の部屋はない。どうしてもと言うのなら、俺の部屋に泊めてやる」との事。その前2泊を車中で過ごしていたので、今更出て行く気にもならず、おじさんの行為に甘えることにした。

部屋に入って、シャワーに浴びたいというと、その場で裸になって行けと言う指示。胴巻きにパスポートを入れていたので、それは外さず、短パンだけでシャワー室に入ろうとすると、怪訝な顔で、「俺を信じろ」と。おっさんは、ずっと僕を見つめている。

とにかく、3日ぶりのシャワーだから、気にしない事にしてシャワーを浴びて、部屋に戻ると、おっさんが素っ裸でシャワー室へ。

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大きなダブルベットの端の方に遠慮がちに座っていたら、おっさんもシャワーから出てきて、ベットに一直線。「狭いけど、気にするな」ってな感じの事を言ったかと思ったら、「電気を消せ」との指示。電話を消して、ベットに戻った瞬間に「Masamoto」と抱きついてきた。Easy to remenberといっときながら、覚えてないやんけと考える前に、やっとこのホセおじさんが、ゲイだったことが分かった。それから、朝方まで、いびきとMasamotoの繰り返しで寝れたもんじゃない。最初は、「I am sleepy]とか「Please make me sleep alone」とか一生懸命文法を考えながら、おっさんにたどたどしくビビりながら伝えていたけど、一番効いたのは、「エエかげんにせんかい。しばくぞ」と叫んだ大阪弁。このシャウトが通じたようで、そこからやっと睡眠を。何とこのバトルを5時間くらい続けていた。感情を伝えるのは、言葉じゃないって事。1-2時間後に起きてキッチンに行ったら、何と客は全員女の子。部屋も余っていた様子。最初から、僕はだまされていたわけ。キッチンでニコニコしながら食事を配るおっさんは、「今日も泊まって良いぞ」とのコメントとウインク。

勿論、操を守った僕は、食事後、そーっとホテルから出て、その晩は野宿を選んだ。ま、宿泊代が浮いたからOKと思って、旅を続けた。

もう、こんな経験は二度とないだろう。サンフランシスコもゲイが多いけどね。
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by hiro.b-bridge | 2005-07-22 23:59 | 昔の話し
2005年7月19日(火)

会社の事務所のエアコンの具合が悪いのか、僕の部屋は暑い。廊下に出ると涼しいのに・・・。

阪大の講義をした時の学生君のレポートを読ませてもらった。18歳、19歳にしてはすごくしっかりしたレポートを書いている。テーマは「アメリカ、日本の双方の強みと弱み」と「大企業とベンチャー企業の違い」。自分が学生時代には、あれほどしっかりしたレポートは書けなかったように記憶している。

思い出した。自分の学生時代の最初のバイトは、アズキ工場でアズキの詰め合わせを運んだり、パレットを洗ったり、昼間の休みにキャッチボールをして、すごく工場生活を満喫した。確か、時給470円くらいだったように思う。あの頃、アメリカとかベンチャーとか全く考えていなかった。今の学生の方が、色んな経験が出来て、ある意味うらやましい。一寸すれば、彼らが僕たちのライバルになってくる。年齢に関係ない知識や経験を、これからもどんどんつけてゆきたいと、皆のレポートを読んでいて、新たに決意できた。

明日も暑い部屋で頑張ろうっと。アズキ工場の現場も暑かったなぁ。
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by hiro.b-bridge | 2005-07-19 23:16
2005年7月17日(日)

昨晩、遅くにハワイからシリコンバレーに戻ってきた。飛行機の関係でサンフランシスコではなく、オークランド空港への戻り。たった3時間の時差ながら、いつもの如く時差ぼけで、結局夜中の4時ごろまで眠れなかった。

今日は、昼から付き合い先のベンチャーの社長の結婚式に御呼ばれしてきた。アメリカに来るまでは、結婚式のたびに、司会を頼まれ、気づいたら70回くらいのカップルを笑い、泣かせてきた。大阪のロイヤルホテルで司会をした時、宴会部の部長さんとやらに、「司会の人は、もっと早く来てもらわなくては困ります」と「司会を甘くみるな」という意味で怒られたのだけど、披露宴が終わって、最後に会場から出た僕に、その宴会部長が寄ってきて、しかも、涙を流しながら、「感激しました、是非当ホテルと契約を・・・」と。ま、単なる自慢ですが、結婚式の司会は結構得意だったことを、久しぶりに思いだした。

アメリカに来てからは式や披露宴に呼ばれる回数もグッと減り、全くの久しぶりの宴席でした。同じ年の社長さんの結婚に、日本からの友達もスピーチや歌に招かれていました。我々の年は、やっぱ、どう見てもおじさんなんだと改めて自分の年も感じてしまった。YahooのFounderも来ていて、芸能人のようにサイン攻めにあっていはったなぁ。皆知っている思うけど、彼の奥さんは日本人なんだよね。初めて話したけど、お金持ちっぽくない。いい人でした。
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by hiro.b-bridge | 2005-07-17 21:43 | SV生活
2005年7月14日(木)

マウイの東の果てにHanaという町がある。ジョージ・ハリスンが以前別荘を持っていたというハワイの中で一番ハワイを感じる天国の地である。ただ、僕らが泊まっているKaanapaliからは、遠い。しかも道は、熱帯雨林のめちゃくちゃ狭い一本道をひたすら走る。勿論超急なカーブのある坂道だらけ。アメリカ人の運転は基本的に下手やから、対向車線での待つタイミングがあわず、ほんま、ハラハラさせられる。d0023796_18222787.jpg

今日のメインイベントは、秘境中の秘境と言われるハレアカラ火山の反対側の滝つぼに近いところでのジャンプかな。
 Hanaはすごく雨の多い地域で、しょっちゅうスコールに見舞われるし、風はきつい。滝つぼに近い水場の水温も低い。何よりも、僕は高所恐怖症。そんな中、近くにいた若いアメリカ人と10メートルジャンプ。110Kgの僕のジャンプは、推定水深5mとあわせて、ほぼ15mジャンプ。以前72mのバンジースイングの時ほどではなかったけど、絶対飛び降り自殺は出来んなと改めて感じ、人生を大切にすることに決めた(?)d0023796_18215568.jpg

以外と、嫁さんも、子供もこの勇気を讃えてくれなかったので、一寸ショック。多分、あの恐怖は上から水面を見たモンにしか分からんのやろな。めっちゃ、高かったんやで。

そういえば、今日は15年目の結婚記念日。あの時も、もっと高い所から結婚にジャンプしたっけ。「な・・・」  嫁さんは、車の酔い止め薬の影響で、もう一人でスースー寝てますが・・・(ガーガーと高いびきでなくて、まだ良かったとしよう)

Happy Anniversaryだったのかなぁ
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by hiro.b-bridge | 2005-07-14 23:04 | ハワイ
2005年7月13日(水)d0023796_15314888.jpg

朝2時45分に起きて (これはいつもの僕の寝る時間とかわらん)、ハレアカラ火山の朝日を見に行ってきました。かのマーク・トゥエインが、世界でもっと美しい眺めと評した景色を、一度は見ておかなければと家族そろって拝みに行ったわけです。マウイは結構来ているのだが、こんな早起きは初めて。1時間半ほど掛けて行った価値はありましたね。でも、頂上は寒くて、寒くて。

全く関係ない話だけど、時計のバッテリーを代えようとモールの中のおもちゃやのおじさんに聞くと、「どれどれ」と時計を眺めて、バッテリーを近くのスーパーで買う事を親切に薦めてくれた。そのスーパーに行くと、わざわざ専用のドライバーを探してきて、10分近く時計と健闘しながら、お兄ちゃんが交換してくれた。電池代の1.95ドルだけ請求された。やっぱ、マウイは田舎なのだなぁと。Californiaでは、まず考えられない親切のリレーが見られた。で、チップ渡すの忘れてきた・・・。
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by hiro.b-bridge | 2005-07-13 23:14 | ハワイ