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仰木監督の死去

2005年12月16日(金)

仰木監督が亡くなった事を今知った。とてもショックで言葉が出ない。根っからのプロ野球ファンとしては、監督が率いたオリックスが神戸の震災の後、神戸市民を勇気付けてくれた事に、感慨が深い。神戸の地震を思い出した。仰木監督の死去_d0023796_1756871.jpg

1995年1月17日、次男の誕生予定日を2週間ほどにしていた我々家族は、堺の嫁さんの実家に帰っていた。朝の地震で、飛び起きて、揺れが収まった頃にラジオをつけたら、須磨区の離宮道の辺りで、家が崩壊しているというNewsが飛び込んできた。当時の僕たちの家は、その離宮道をあがった所にあっただけに、マンションが心配で仕方なかった。又サラリーマンの宿命か、勤めていた大阪市内の会社も心配で、車に飛び乗って、大阪まで走った。渋滞の中、会社には着いたものの、仕事が手に付くはずもない。会社のパーティションは倒れ、外のタイルは剥がれ落ちていた。

そのまま、神戸の家を見に行こうとしたが、国道2号線は全く動かず、やむなく実家の箕面に向かった。実家もかなりのダメージを受けていたが、両親は問題なかった。そんな時、当時としてはまだ限られた人が持っていた携帯電話に「何か様子がへん、病院に行く」という嫁さんからの電話。慌てて、車を走らせ箕面から堺の病院に向かったが、途中異常なまでに渋滞した道で、完全にストップしてしまった。途中、何度も電話を受け、病院について、マナー違反を承知で、救急車の駐車場に車を乗り捨て、分娩室に向かって、到着後5分後には、次男が生まれていた。

そうです、あの地震の日が、次男の誕生日になったのです。

翌々日には、甲子園まで電車で行き、そこから8時間半書けて須磨のマンションまで向かった。途中、燃えている家や、泣き叫ぶ子供や女性、崩壊した高速道路を目の当たりにして、すごくつらい思いをした。マンションの姿を見た時には、ほっとしたと同時に申し訳ない気持ちにもなった。

あの日、人間の生と死に関して、色々と考えさせられた。今日、仰木監督の死を知り、なぜかあの時のことを思い出すとともに、深い寂しさにむせび泣けてくる。

仰木監督、今までありがとう。
by hiro.b-bridge | 2005-12-16 18:00 | 日記