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サラリーマンの宿命

2005年7月25日(月)

1985年に大阪の老舗繊維会社に入社したのは、もう20年も前の話。大学が文系の僕は、当時アイビーリーガーを装って、ブラックウォッチのズボンを穿いて、アパレル業界での活躍を夢見ていた。入社と同時に、研修で滋賀県の研修所に1週間缶詰生活。朝のラジオ体操や当番制の掃除から始まって、会社員のイロハを教え込まれた。その後山口県への3ヶ月研修。労務部所属で、初日に渡された仕事は、花見の場所取り。次の日の仕事は、近くの山のたけのこ堀り。3日目に、たけのこの皮むき。4日目は、そのたけのこ蒸して、食事を作る。これが従業員への給食。こんな仕事もやったことが懐かしい。バイトでもなんでもなく、正社員として大学を出て入った最初の週のお仕事。

その後、紙切れ一枚で「生化学事業部」へ異動。3年したら、「工場の労務部」へ異動。又2年したら、「本社の生化学部」へ再度異動。特に、工場へ異動した時は、「課長、僕の異動の噂を聞いたのですが、どうなんでしょうか?」と尋ねたら、早速人事部に電話をしてくれた。で、結果は、「転勤みたいで。労務。良かったなぁ」その一言。

紙切れ一枚で異動を余儀なくされるのは、会社員の宿命。

今日、その頃の後輩から、同じような「突然転勤」の挨拶が届いて、思わず昔の自分の紙切れ一枚での異動を思い出した。

でも、アメリカの異動はもっと突然やってくるのです。しかも、これは異動ではなく、単に「首切り」アメリカの会社で働き初めてしばらくした時、隣のオフィスのManagerと夕方4時頃まで打ち合わせしていた。人事から電話を受けた彼は、ノートを持って「何やろ?」と人事部に出向いた。そして、その人事部へ出向いた彼の背中が、最後に彼を見た瞬間である。何せ、通告を受けて、自分の部屋に戻る事もなく、当然何の引継ぎもなく、夕方6時前には、人事部のスタッフが彼のオフィスの整理をしていた。彼の家族の写真をFedExで送る人事のスタッフは、もくもくと業務をこなしていた。

先週、うちの会社でも一人「突然通知」で辞めてもらった。アメリカ人のSales Rep。自分で解雇しておきながら、改めて気合を入れ直す事になる。みんな頑張ろうぜ。
by hiro.b-bridge | 2005-07-25 23:54 | 昔の話し